命は電池で生き返る?

絵本「いのちをいただく」の監修者 佐藤剛史先生が、「鶏さばき」の実践セミナーをされるという記事を見てふと思ったこと。

小学生に情報モラルの話しをしている時に、「ネット上で誰かにひどいことを言われたらあなたならどうする?」と尋ねます。
その時「死ぬ!」という答えが一度や二度ならず何度も聞かれました。特定の学校ではありません。色んなところで子どもがそう返してきます。

先日ネット依存の勉強会に出かけました。講師の先生から驚きの話しを聞きました。
幼稚園の園庭で子ども達がダンゴ虫を集めて遊んでいた時(昔からよくある光景ですね)一人の子が先生に向かってこう言ったそうです。

「先生!ダンゴ虫、死んでるのがいるから電池持って来て!ちっちゃいやつ!」と。
その園児は電池を入れればダンゴ虫が生き返ると思っていたそうです。

そんな事、成長のどこかの時点で間違いだとわかる、そうおっしゃる方もおいででしょう。

でも、そうでしょうか。

今の子ども達は私達が育った頃に比べて遊び場も、生き物に接する機会も圧倒的に少ないのです。
福岡市のかなり郊外の学校へお邪魔した時、小さな川でめだか取りに興じる子どもを見てホッとしたほどです。

ペット育成ゲームでは、エサをやり忘れて死なせてしまっても、リセットすれば何もなかったかのようにまた育てられます。

今の子ども達は「生きる」とか「命」と言うことをどのようにとらえているのでしょう。

成長のどこかの時点で「電池を入れても失われた命は生き返らない」と理解できていたならば、なぜこんなにも殺人事件が増えたのでしょうか。

息子が3歳の時、親戚のおじいちゃんが亡くなりました。
息子が生まれた時から、親戚の中で久しぶりに生まれた赤ちゃんだと、いつも目を細めて可愛がってくれていた方でした。
当然、お通夜お葬式には息子を連れて行きました。
するとある人から「子どもは退屈するだろうから、無理に連れてこなくてよかったのに」と言われました。

式で迷惑をかけてしまうかもしれない、そう気遣っての言葉だったのでしょう。
でも、私は息子にちゃんとお別れをさせたかった。
息子は3歳の思考回路で、3歳の感情を持って涙を流していました。

例えばつらい事があって学校に行きたくなくなる。そんな時、少なくとも私の子ども時代に「死ぬ」という選択肢はありませんでした。
でも、今の子ども達(全員とは言いませんが)は頭の中に「死」という選択肢を持っています。

私達が育った頃とは全く違う環境で育っている子ども達にわかって欲しいこと、伝えたい事はまだまだたくさんありそうです。

「そのくらいの事わかってるはず」と胡坐をかかずに、今の子どもの言動を見て、根本から考えなければいけないと思います。


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